人気漫画家・三田紀房氏にアシスタントが残業代請求!その全容を社労士がざっくり解説

『ドラゴン桜』『インベスターZ』でおなじみの漫画家・三田紀房氏が、元アシスタント・カクイシシュンスケさんから残業代請求を受けた件が話題になりました。“マンガ業界における働き方改革”のパイオニア的存在として知られる同氏の下で、一体何があったのでしょうか?社労士が労務の観点から深掘りします。

問題は「変形労働時間制への誤解」と「ルールと実態の不一致」か?

本件の概要を理解するために、私が参照したサイトは下記の通りです。
□HatenaBlog「マンガアシスタントについてのブログ
□三田紀房公式サイト「ご報告
□Yahoo!Japan『週休3日、残業禁止、「作画完全外注」――漫画家・三田紀房が「ドラゴン桜2」で挑む働き方改革

上記の記事から、実態をすべて正確に把握することはできませんが、アシスタントと三田氏双方の意見を勘案し、ひとつはっきりと言えるのは「三田氏が目指す理想と、アシスタントが経験した就労実態とが大きく乖離していた可能性が高い」ということです。

本件において最大の問題点となる、就業ルールの「理想と現実」

記事より、三田氏がアシスタントと話し合って決めたとされる就労ルール(理想)と、アシスタントの方が主張する実態(現実)とを、簡単にまとめてみましょう。

理想 現実
勤務時間 週4日勤務/原則9時30分~18時30分
※ただし、木曜日までに原稿を完成させる 
月~水は9時30分~18時30分
木は22時~25時まで働いていた 
休憩 自由に取ることができる  実際は必要最低限の休憩のみで、休息を確保することは出来なかった 
残業 禁止 原稿完成目標日である木曜日には恒常的な残業あり 

記事から分かることはざっとここまでですが、いかがでしょうか?
以下に、問題点を挙げていきます。

労働時間と業務量が不釣合い

・「木曜までに原稿を完成させること」が目標
・月~水までは原則の勤務時間が守られていた
・仕事の終わらない木曜のみやむを得ず長時間残業が恒常化していた

↓    ↓    ↓

「労働時間」と「業務遂行に必要な時間」とが釣り合っていなかったことは明らかです。
アシスタント自身の創作のために週3日の休みを確保したい、との理想は理解できますが、そもそも、月~木までの労働時間の枠内で処理しきれない業務量が発生していたとするなら本末転倒でしょう
結果的に、しわ寄せがすべて木曜にきてしまっています。

「変形労働時間制=残業代不要」の誤解

後述しますが、変形労働時間制であっても時間外労働は発生しますし、そうなれば当然残業代の支払が必要です。
この部分、労働時間制に関わる知識不足にもかかわらず、弁護士に勧められるままに中途半端な形で制度導入されてしまったことに大きな問題があります。

業務効率化への取組みなしに、働き方改革は実現しない

加えて、三田氏は業務効率を高めることで、労働日の削減をしようとしました。
週4日勤務を採用するにあたり三田氏がどのような方法で仕事の効率化を図ったのかといえば、記事から分かることは実質的な「休憩時間の削減」です。
そのようにはっきり明記されているわけではありませんが、Yahoo掲載記事にある「お菓子を置かないだけではない。みんなで食事をとることもほとんどなく、そもそも決まった休憩時間も設けられていない。」の一文から、そのように推測されます。
実際、アシスタントの方もブログで「休憩はあったじゃないですか。15時00分から15時15分くらいまでの10~15分間だけ」とおっしゃっていますね。

昨今話題となっている働き方改革を語る上では“業務効率化”を欠かすことは出来ませんが、それは「既存の枠内に仕事を詰め込むこと」ではありません。
業務フローの見直しやツールの導入、ときには取引先の理解を得ることで、働く人が無理なくワークライフバランスを実現できる様に工夫をすることです。
仮に三田氏がこのあたりの工夫について検討し、実際に取り組んで効率化を図ることができていれば、働き方改革は大成功だったかもしれません。

※「ドラゴン桜2」では「作画の完全外注」という前代未聞のシステム構築として
作画を外注することで業務量を減らす取り組みを実施中とのことです。
週休3日、残業禁止、「作画完全外注」――漫画家・三田紀房が「ドラゴン桜2」で挑む働き方改革

(参照)内閣府「社内におけるワークライフバランス浸透・定着に向けたポイント・好事例集

そもそも「変形労働時間制」とは?

ところで、三田氏が理想とする働き方は、変形労働時間制によって本当に実現できるのでしょうか?この点、結論からいえば「無理がある」と言わざるを得ません。
三田氏が導入したのは「1ヵ月単位の変形労働時間制」ですが、本制度は労働基準法32条によると「1ヵ月以内の期間を平均して1週間当たりの労働時間が40時間以内となるように、労働日および労働日ごとの労働時間を設定することにより、労働時間が特定の日に8時間を超えたり、特定の週に40時間を超えたりすることが可能になる制度」との説明があります。

「変形労働時間制」でも残業代は発生します

後段のみを見れば「残業代が発生しないのか」と誤解されてしまうかもしれませんが、条件として「1ヵ月以内の期間を平均して1週間当たりの労働時間が40時間以内となるように、労働日および労働日ごとの労働時間を設定すること」が必須です。そして、当初設定した労働時間に超過が生じれば、当然、残業代を支払う必要があります


出典:厚生労働省「1か月単位の変形労働時間制

三田氏の公式サイトによれば、「1日10時間、週40時間までの範囲であれば残業代が発生しないこと」は理解していたようですが、毎週のようにその枠を超えて残業が発生していることについてはどう考えていたのでしょうか?なぜ「残業なし」を明言していたのか、その点は理解に苦しみます。

「変形労働時間制」でも休憩時間の設定は必要!

加えて、各労働日については「始業・終業の時刻」と「休憩時間」を明示すべきです。単に「休憩は自由」とすれば聞こえは良いですが、皆が働いている中で休憩をとることが難しい場合もあります。その点、従業員が確実に休める様に、雇用主として休憩時間を定めて、その時間帯の休息を約束してあげることが重要なのです。
変形労働時間制については、打刻ファーストでも解説を掲載していますので、是非ご一読ください。

【参照】打刻ファースト「きちんと運用出来ている?変形労働時間制の罠

三田氏側の記事を見る限り、個人的には、三田氏側に必ずしも悪意があったものとは思えません。ブラックが蔓延するマンガ業界において、率先して働き方改革を実践していきたいという、明確な意図も理解できます。
しかしながら、雇用ルールとしては取決めが不十分であったこと、法の定めからかけ離れた運用がされていたことが、今回の事の発端であったことは明らかです。

職人世界で「アシスタントが声を上げた」という革新的出来事

実際のところ、未払残業代の請求は、どの業界でもよくある話です。
しかしながら、本件がなぜ多くの人の目に留まったかといえば、「職人気質のマンガ業界で、人気漫画家に対してアシスタントが声を上げる」というセンセーショナルな側面があったからです。

マンガ業界に限らず、調理や大工、伝統工芸、美容等の世界では「労使関係=師弟関係」が成立しやすく、事業主は通常の雇用のイメージよりも「育ててやっている」という意識を強く持つ傾向にあります。同時に、働く側もまたこうした意識を持っているため、どんなに辛い境遇も「修行」と捉えて耐え忍び、やがては一人前になっていくことを美徳としがちです。

しかしながら、「技術を習得する上での厳しさ」と「就労環境の厳しさ」を混同することは間違いです。たとえ技能としては半人前であっても、労働者であれば、法に定められた権利を持っています。賃金や労働時間に関わる権利を阻害されれば、人として生活を営むことは困難になりますし、身体を壊せば最悪の場合、死に至ることもあります。

本記事をきっかけに、雇用側であれば労働者の権利を守ること、働く側であれば自己の権利を主張することの重要性に、もっと目が向けられることが望まれます。どんな業界においても例外なく、です。ブログを拝見する限り、今回声を上げたアシスタントの方も、そのことを切に希望されています。

ちなみに、本件は、三田氏側が1日8時間勤務を前提として計算した場合に発生する未払い残業代をスタッフ全員に支払うことで幕引きが図られました。三田氏の事務所では、タイムカードで日々の勤怠が記録されていたために、正確な労働時間の算出が可能であったそうです。
また、本件を機に三田氏は今後より一層、職場環境の整備に取り組んでいくことを決意したとのこと。同氏による今後の働き方改革の行方に、注目が集まります。

今回は、マンガ業界という特殊な世界における残業代請求の一件をご紹介しました。御社では、適正に残業代が支払われているでしょうか?特に現状、変形労働時間制を採用している会社においては、実は適正に運用されていないケースもあるかもしれません。
未払残業代の請求は、どこか遠くの世界の話ではありません。日々の勤怠管理はもちろんのこと、折をみて、労働に関わるルールの再確認をされてみることをお勧めします。

[打刻ファースト編集部より]

最先端の試みを実施する三田紀房様のオフィスに先日のテレビ取材の際に「タイムカード(打刻機)」が置いてありました。クリエイターの利用率も高い無料のクラウド勤怠管理システムIEYASUの方が貴社における改革のスピード感にマッチするのではないかと存じます。業界全体の「働き方革命」における第一歩を大歓迎すると共に応援しております。

LINEで送る

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事